【旅行36日目・その1】『第4の故郷』カイロに別れを告げる [エジプト]
「【旅行35日目・その2】ベリーダンス付きのナイル川クルーズへ」から続きます。
4泊したエジプト・カイロの日程もあっという間に終わりを迎えます。
ロンドン発の便が遅れて到着が日付を回っていたので、4泊4日の滞在でした。
私にとって、生まれ育った長崎、学生時代と社会人になってから多くの時間を過ごした東京(と埼玉)、転勤で3年間暮らした神戸に続き、カイロはいわば「第4の故郷」ですが、赴任を終えて以来27年間、訪れる機会がありませんでした。
赴任していた期間はわずか2年弱でしたが、家人や幼かった娘との思い出もたくさんありますし、ソフトボールチームに入ってアメリカ人チーム相手に試合したり、日本人駐在員のロックバンドに入って何度もライブをやったり、なんだかんだで私生活は充実しました。
仕事でも、中東・北アフリカ各地やヨーロッパなどに出張しましたし、何と言っても湾岸戦争を現地バグダッドや隣国ヨルダンのアンマンで取材する機会がありました。
カイロは今回、世界一周の旅程に組み込むことができたので立ち寄りましたが、この先はたぶん訪れることがないのではないかと思います。
ということで、いろいろ思い出しながら出発の準備をします。
最後にエジプト・ポンドの紙幣の写真を撮影。
相変わらずの汚さですが、これを実際にも見るのも最後かもしれません。
朝からマリオット・ホテルの敷地を散策。
27年前も、赴任を終えカイロを離れるにあたってここに泊まり、友人・知人に見送ってもらいました。
ここがホテルの正面入り口。
27年前の写真にもこのあたりで撮影したものがあって、娘がライオンにまたがっているものもあったように思います。
当時はセキュリティーチェック(金属探知機)はなかったと思うんですが…。
ホテルに呼んでもらったタクシーで空港に向かいます。
4泊したエジプト・カイロの日程もあっという間に終わりを迎えます。
ロンドン発の便が遅れて到着が日付を回っていたので、4泊4日の滞在でした。
私にとって、生まれ育った長崎、学生時代と社会人になってから多くの時間を過ごした東京(と埼玉)、転勤で3年間暮らした神戸に続き、カイロはいわば「第4の故郷」ですが、赴任を終えて以来27年間、訪れる機会がありませんでした。
赴任していた期間はわずか2年弱でしたが、家人や幼かった娘との思い出もたくさんありますし、ソフトボールチームに入ってアメリカ人チーム相手に試合したり、日本人駐在員のロックバンドに入って何度もライブをやったり、なんだかんだで私生活は充実しました。
仕事でも、中東・北アフリカ各地やヨーロッパなどに出張しましたし、何と言っても湾岸戦争を現地バグダッドや隣国ヨルダンのアンマンで取材する機会がありました。
カイロは今回、世界一周の旅程に組み込むことができたので立ち寄りましたが、この先はたぶん訪れることがないのではないかと思います。
ということで、いろいろ思い出しながら出発の準備をします。
最後にエジプト・ポンドの紙幣の写真を撮影。
相変わらずの汚さですが、これを実際にも見るのも最後かもしれません。
朝からマリオット・ホテルの敷地を散策。
27年前も、赴任を終えカイロを離れるにあたってここに泊まり、友人・知人に見送ってもらいました。
ここがホテルの正面入り口。
27年前の写真にもこのあたりで撮影したものがあって、娘がライオンにまたがっているものもあったように思います。
当時はセキュリティーチェック(金属探知機)はなかったと思うんですが…。
ホテルに呼んでもらったタクシーで空港に向かいます。
【旅行35日目・その2】ベリーダンス付きのナイル川クルーズへ [エジプト]
「【旅行35日目・その1】再びのザマレク散策とお昼の韓国料理」から続きます。
世界一周旅行35日目の8月13日。
夕方まで割とのんびり過ごしました。
夕方から出かけます。
行き先はナイル川クルーズ。
前日にネットで予約したもので、ベリーダンスのショーが含まれています。
ホテルまで来た迎えの車で船の発着地、マアディへ。
夕方のラッシュ時間帯なので、1時間くらいかかりました。
マアディはアメリカ人など外国人が多く住んでいて地区で、カイロ在住時代、アメリカ人のチーム相手にソフトボールをしたグラウンドや、日本人駐在員で結成したバンドのライブをやったライブハウスがある、懐かしの場所。
いつも自分で車を運転して通ってました。
(今回は残念ながらナイル川沿いの船着場しか見られませんでした。)
アンドレア号という船に乗り込みます。
「サッカラ」というビールをいただきます。
この銘柄、(たぶん)住んでいたときはありませんでした。
若いガイド役の女性が迎えの車に同乗していて、船の中でも家人と私2人だけに付き添ってくれてます。
スカーフ(ベール)をまとった女性は、住んでいた30年近く前はそんなに多くなかったんですが、イスラムの復古的な動きに伴って増えているようです。
ベリーダンスはこんな感じ。
「ベリー」(belly)とは「おなか(腹)」のこと。
ベリーダンスは文字通り、お腹の肉を揺らすところが醍醐味です。
必然的に、若い痩せた女性よりは、ちょっと年齢を重ねた「脂の乗った」女性の方がいいとされるそうです。
このダンサーの女性はまだ若いほうかも…。
伴奏は、こんなおじさんたちのバンドの生演奏です。
写真はありませんが、食事はビュッフェ。
ベリーダンス以外にもいろんなパフォーマンスがあって、割とあっという間に時間が過ぎました。
(終了後はホテルまで送ってくれました。)
こうしてカイロ最後の夜は更けていきました。
世界一周旅行35日目の8月13日。
夕方まで割とのんびり過ごしました。
夕方から出かけます。
行き先はナイル川クルーズ。
前日にネットで予約したもので、ベリーダンスのショーが含まれています。
ホテルまで来た迎えの車で船の発着地、マアディへ。
夕方のラッシュ時間帯なので、1時間くらいかかりました。
マアディはアメリカ人など外国人が多く住んでいて地区で、カイロ在住時代、アメリカ人のチーム相手にソフトボールをしたグラウンドや、日本人駐在員で結成したバンドのライブをやったライブハウスがある、懐かしの場所。
いつも自分で車を運転して通ってました。
(今回は残念ながらナイル川沿いの船着場しか見られませんでした。)
アンドレア号という船に乗り込みます。
「サッカラ」というビールをいただきます。
この銘柄、(たぶん)住んでいたときはありませんでした。
若いガイド役の女性が迎えの車に同乗していて、船の中でも家人と私2人だけに付き添ってくれてます。
スカーフ(ベール)をまとった女性は、住んでいた30年近く前はそんなに多くなかったんですが、イスラムの復古的な動きに伴って増えているようです。
ベリーダンスはこんな感じ。
「ベリー」(belly)とは「おなか(腹)」のこと。
ベリーダンスは文字通り、お腹の肉を揺らすところが醍醐味です。
必然的に、若い痩せた女性よりは、ちょっと年齢を重ねた「脂の乗った」女性の方がいいとされるそうです。
このダンサーの女性はまだ若いほうかも…。
伴奏は、こんなおじさんたちのバンドの生演奏です。
写真はありませんが、食事はビュッフェ。
ベリーダンス以外にもいろんなパフォーマンスがあって、割とあっという間に時間が過ぎました。
(終了後はホテルまで送ってくれました。)
こうしてカイロ最後の夜は更けていきました。
【旅行35日目・その1】再びのザマレク散策とお昼の韓国料理 [エジプト]
「【旅行34日目・その3】夜の帳が降りた砂漠にピラミッドのシルエット」から続きます。
世界一周旅行35日目の8月13日。
カイロ中心部を流れるナイル川の中州、ゲジラ島にあるカイロ・マリオット・ホテルに泊まっています。
宿泊に朝食はついていないので、朝から出かけます。
こちらは前日に朝食を食べたカフェ。
そして、本日の朝ごはんはこちらの「シモンズ」(Simonds)というベーカリーカフェでいただきます。
看板などに"Since 1898"とあるので、創業120年の老舗みたいです。
このあと、家人はホテルのプールサイドでのんびりするというので、私は(ポケモンハンティングを兼ねて)ザマレク地区を散策。
初日に続いて、かつて住んでいたフラット(アパート)のところまでやってきました。
隣にあった薬局は27年経っても健在。
こちらが、フラットのエントランスホールです。
エレベーターはこんな感じ。
3〜4人で満員の小さなもので、かなり年季が入っています。
散策を終えてホテルの部屋に戻ります。
こちらは部屋番号(3202号室)の表示。
上にあるのはアラビア語の数字です。
アラビア語の文字は右から左に書きますが、数字だけは左から右です。
最初は変な感じですが、慣れると大丈夫。
お昼は、ホテルから歩いて10分弱の韓国料理店「ハナ」へ。
(「ハナ」とは花や鼻ではなく韓国語で「1」という意味です。)
このお店、場所は変わっているようですが、住んでいた頃からありました。
少し遅い時間だったので、店内は私たちのほかはオーナーらしき韓国人の家族だけ。
割とそれっぽい料理が出てきました。
私はキムチチャーハン、家人は冷麺を頼みました。
このあと、(写真はありませんが)ザマレク地区在住外国人『御用達』の「サニースーパーマーケット」で買い物。
住んでいた頃からありましたが、話によるといったんつぶれて、再開店したとのこと。
以前より品揃えが豊富で、ちゃんとしているように見えます。
ここでもお土産など買いました。
世界一周旅行35日目の8月13日。
カイロ中心部を流れるナイル川の中州、ゲジラ島にあるカイロ・マリオット・ホテルに泊まっています。
宿泊に朝食はついていないので、朝から出かけます。
こちらは前日に朝食を食べたカフェ。
そして、本日の朝ごはんはこちらの「シモンズ」(Simonds)というベーカリーカフェでいただきます。
看板などに"Since 1898"とあるので、創業120年の老舗みたいです。
このあと、家人はホテルのプールサイドでのんびりするというので、私は(ポケモンハンティングを兼ねて)ザマレク地区を散策。
初日に続いて、かつて住んでいたフラット(アパート)のところまでやってきました。
隣にあった薬局は27年経っても健在。
こちらが、フラットのエントランスホールです。
エレベーターはこんな感じ。
3〜4人で満員の小さなもので、かなり年季が入っています。
散策を終えてホテルの部屋に戻ります。
こちらは部屋番号(3202号室)の表示。
上にあるのはアラビア語の数字です。
アラビア語の文字は右から左に書きますが、数字だけは左から右です。
最初は変な感じですが、慣れると大丈夫。
お昼は、ホテルから歩いて10分弱の韓国料理店「ハナ」へ。
(「ハナ」とは花や鼻ではなく韓国語で「1」という意味です。)
このお店、場所は変わっているようですが、住んでいた頃からありました。
少し遅い時間だったので、店内は私たちのほかはオーナーらしき韓国人の家族だけ。
割とそれっぽい料理が出てきました。
私はキムチチャーハン、家人は冷麺を頼みました。
このあと、(写真はありませんが)ザマレク地区在住外国人『御用達』の「サニースーパーマーケット」で買い物。
住んでいた頃からありましたが、話によるといったんつぶれて、再開店したとのこと。
以前より品揃えが豊富で、ちゃんとしているように見えます。
ここでもお土産など買いました。
【旅行34日目・その3】夜の帳が降りた砂漠にピラミッドのシルエット [エジプト]
「【旅行34日目・その2】カイロに来たらやっぱりピラミッドは見ないとね」から続きます。
カイロ市内のホテルから、チャーターした車でピラミッドを見に来ています。
午後5時以降は近くまで入れないのですが、運転手が「馬車に乗ればもっと近づける」というので、頼むことにします。
乗るのはこんな馬車。
御者はムハンマドという名前(だったと思います)。
少し進んでいくと、馬車がたくさん止まってます。
このあたりは、こうした観光客向け馬車で生計を立てている人たちの居住区のようです。
ラクダもたくさんいます。
ラクダに乗った欧米人とおぼしき人たちとすれ違います。
観光を終えて戻って来るところでしょう。
道路脇にヒツジの群れ。
食用だと思います。
ラマダン(断食月)明けなどお祭りのときには、裕福な人がこうしたヒツジを屠って、近所の人に振る舞ったりします。
御者のムハンマドは「ヨーロッパ人でなければ大丈夫」とか言っていたんですが、馬車で10〜15分ほど進んだところのゲートに警察官がいて、「この時間は入れない」と言って、馬車を追い返そうとします。
ムハンマドは「日本人だから通せ」とか言っているようですが、結局ダメでした。
仕方なく、ずっと砂漠の中を進んで遠回りでピラミッドに近づこうとするんですが、まもなく日が暮れてきました。
そういえば、住んでいたころ、真っ暗な時間帯に砂漠に行ったことはありません。
夜の帳が下りた砂漠に浮かび上がるピラミッドのシルエット。
印象的な眺めではあります。
結局、ピラミッドにあまり近づかないまま、砂漠を小一時間走り回って、出発地に戻ります。
馬車に乗ること自体を楽しんだと思えば、それはそれで面白い体験でした。
ちなみに、馬車の料金は「言い値でいい」と言うので400エジプトポンド(2,500〜2,600円くらい)。
ほかに御者にチップを150エジプトポンド(1,000円弱)払いました。
チップを弾みすぎかもしれませんが、そんなにぼられてはいないと思うんですが…。
カイロ市内のホテルから、チャーターした車でピラミッドを見に来ています。
午後5時以降は近くまで入れないのですが、運転手が「馬車に乗ればもっと近づける」というので、頼むことにします。
乗るのはこんな馬車。
御者はムハンマドという名前(だったと思います)。
少し進んでいくと、馬車がたくさん止まってます。
このあたりは、こうした観光客向け馬車で生計を立てている人たちの居住区のようです。
ラクダもたくさんいます。
ラクダに乗った欧米人とおぼしき人たちとすれ違います。
観光を終えて戻って来るところでしょう。
道路脇にヒツジの群れ。
食用だと思います。
ラマダン(断食月)明けなどお祭りのときには、裕福な人がこうしたヒツジを屠って、近所の人に振る舞ったりします。
御者のムハンマドは「ヨーロッパ人でなければ大丈夫」とか言っていたんですが、馬車で10〜15分ほど進んだところのゲートに警察官がいて、「この時間は入れない」と言って、馬車を追い返そうとします。
ムハンマドは「日本人だから通せ」とか言っているようですが、結局ダメでした。
仕方なく、ずっと砂漠の中を進んで遠回りでピラミッドに近づこうとするんですが、まもなく日が暮れてきました。
そういえば、住んでいたころ、真っ暗な時間帯に砂漠に行ったことはありません。
夜の帳が下りた砂漠に浮かび上がるピラミッドのシルエット。
印象的な眺めではあります。
結局、ピラミッドにあまり近づかないまま、砂漠を小一時間走り回って、出発地に戻ります。
馬車に乗ること自体を楽しんだと思えば、それはそれで面白い体験でした。
ちなみに、馬車の料金は「言い値でいい」と言うので400エジプトポンド(2,500〜2,600円くらい)。
ほかに御者にチップを150エジプトポンド(1,000円弱)払いました。
チップを弾みすぎかもしれませんが、そんなにぼられてはいないと思うんですが…。
【旅行34日目・その2】カイロに来たらやっぱりピラミッドは見ないとね [エジプト]
「【旅行34日目・その1】ハンハリーリ市場と和食店のかつ重」から続きます。
朝からカイロ市内を歩いたり、ハンハリーリ市場で買い物したり。
昼食に和食レストランでかつ重をいただいたあとは、ホテルへ戻り一休み。
夕方からはピラミッドを見に行きます。
当初は見なくてもいいかと思っていたんですが、ほかにどうしても行きたい場所があるわけでもないし、「やはりカイロに来たからには」というか、「エジプトに来るのはこれがたぶん最後だろう」と思ったので…。
ホテルで車の手配を頼んだら、こんな中国製のSUVがやってきました。
奇瑞汽車(Chery Automobile)っていいうやつですかね…。
乗り心地は別に悪くありませんでした。
ピラミッドとスフィンクスは、ナイル川の西岸、行政区分でいうとギザ市というところにあります。
カイロ市内からは直線距離で12〜13kmくらいですが、渋滞していると車で小一時間かかります。
ホテルを出たのは夕方4時ごろだったと思いますが、午後5時くらいに到着。
たぶん28年ぶりのピラミッドです。
(デジカメの絞りをいろいろ変えて撮っているので、同じ時間帯でも明るさが違います。)
以前はいつでもピラミッドのそばまで行けたような気がするんですが、現在は、周囲にフェンスが巡らされていて、夕方5時以降は入れません。
それは事前に了解の上、フェンスの外からでいいと思って行きました。
住んでいた頃に、来訪者を案内して何度もそばまで行きましたし、ピラミッドの中にも入ったことあるので…。
下の写真は、近くにあるピザハット(とケンタッキーフライドチキン)のお店。
「ピラミッドを見るならここ」と言われているそうです。
朝からカイロ市内を歩いたり、ハンハリーリ市場で買い物したり。
昼食に和食レストランでかつ重をいただいたあとは、ホテルへ戻り一休み。
夕方からはピラミッドを見に行きます。
当初は見なくてもいいかと思っていたんですが、ほかにどうしても行きたい場所があるわけでもないし、「やはりカイロに来たからには」というか、「エジプトに来るのはこれがたぶん最後だろう」と思ったので…。
ホテルで車の手配を頼んだら、こんな中国製のSUVがやってきました。
奇瑞汽車(Chery Automobile)っていいうやつですかね…。
乗り心地は別に悪くありませんでした。
ピラミッドとスフィンクスは、ナイル川の西岸、行政区分でいうとギザ市というところにあります。
カイロ市内からは直線距離で12〜13kmくらいですが、渋滞していると車で小一時間かかります。
ホテルを出たのは夕方4時ごろだったと思いますが、午後5時くらいに到着。
たぶん28年ぶりのピラミッドです。
(デジカメの絞りをいろいろ変えて撮っているので、同じ時間帯でも明るさが違います。)
以前はいつでもピラミッドのそばまで行けたような気がするんですが、現在は、周囲にフェンスが巡らされていて、夕方5時以降は入れません。
それは事前に了解の上、フェンスの外からでいいと思って行きました。
住んでいた頃に、来訪者を案内して何度もそばまで行きましたし、ピラミッドの中にも入ったことあるので…。
下の写真は、近くにあるピザハット(とケンタッキーフライドチキン)のお店。
「ピラミッドを見るならここ」と言われているそうです。
【旅行34日目・その1】ハンハリーリ市場と和食店のかつ重 [エジプト]
「【旅行33日目・その2】ステラビールが美味しくなっていてビックリ!」から続きます。
旅行34日目の8月12日。
かつて暮らしていたエジプト・カイロに滞在中です。
朝食はマリオット・ホテル近くの「コーヒービーン&ティーリーフ」(The Coffee Bean & Tea Leaf)で。
(住んでいたころはこんなチェーンはありませんでした。)
そのあと、午前中はカイロ市内を散策。
ナイル川にかかる橋を徒歩で渡ります。
こちらは橋上から見たマリオット・ホテル。
ナイル川を橋から見たところです。
写真右が中州であるゲジラ島で、左側はナイル川東岸のカイロ市街。
しばらく市街地を歩きましたが、あちこち工事していて、建物がそこら中で取り壊されています。
ただでさえほこりっぽい町なのに、さらにひどくなった感じ。
気温も高いので、早々に次の目的地へ。
タクシーでハンハリーリ市場へ向かいます。
持っているiPad Miniで、念のために英語からアラビア語に翻訳して画面に表示していたんですが、行き先はアラビア語で通じました。
この写真は、市場の道路反対側にあるモスク(確かアズハル・モスク)。
こちらが観光客向けの土産物などを売っているハンハリーリ市場。
あまり外国人観光客の姿は見えません。
かつてを思い出して値切りながら、ピラミッドの置物などお土産を購入します。
買い物を終えたところでお昼どきになったので、ゲジラ島に移動。
和食店で昼食にします。
ヒルトンのレジデンスホテルにある「牧野」というお店です。
きょうもステラビール。
かつ重をいただきます。
(日本にいるときは、とんかつなどダイエットのために自粛しているんですが、久しぶりの和食なので自粛解除。)
まあまあのお味です。
昼食後は、タクシーでマリオット・ホテルに戻ります。
旅行34日目の8月12日。
かつて暮らしていたエジプト・カイロに滞在中です。
朝食はマリオット・ホテル近くの「コーヒービーン&ティーリーフ」(The Coffee Bean & Tea Leaf)で。
(住んでいたころはこんなチェーンはありませんでした。)
そのあと、午前中はカイロ市内を散策。
ナイル川にかかる橋を徒歩で渡ります。
こちらは橋上から見たマリオット・ホテル。
ナイル川を橋から見たところです。
写真右が中州であるゲジラ島で、左側はナイル川東岸のカイロ市街。
しばらく市街地を歩きましたが、あちこち工事していて、建物がそこら中で取り壊されています。
ただでさえほこりっぽい町なのに、さらにひどくなった感じ。
気温も高いので、早々に次の目的地へ。
タクシーでハンハリーリ市場へ向かいます。
持っているiPad Miniで、念のために英語からアラビア語に翻訳して画面に表示していたんですが、行き先はアラビア語で通じました。
この写真は、市場の道路反対側にあるモスク(確かアズハル・モスク)。
こちらが観光客向けの土産物などを売っているハンハリーリ市場。
あまり外国人観光客の姿は見えません。
かつてを思い出して値切りながら、ピラミッドの置物などお土産を購入します。
買い物を終えたところでお昼どきになったので、ゲジラ島に移動。
和食店で昼食にします。
ヒルトンのレジデンスホテルにある「牧野」というお店です。
きょうもステラビール。
かつ重をいただきます。
(日本にいるときは、とんかつなどダイエットのために自粛しているんですが、久しぶりの和食なので自粛解除。)
まあまあのお味です。
昼食後は、タクシーでマリオット・ホテルに戻ります。
【旅行33日目・その2】ステラビールが美味しくなっていてビックリ! [エジプト]
「【旅行33日目・その1】ナイル川中州にあるマリオット・ホテルからかつての住居へ」から続きます。
カイロ中心部を流れるナイル川の中州、ゲジラ島のザマレク地区を散策したあと、午後はホテルの部屋でゆっくり過ごします。
夕食は、ホテル近くのエジプト料理店へ。
7月26日通りを渡ってすぐ近くにあるアブ・エル・シドという観光客に人気らしいお店です。
住んでいた頃にはありませんでした。
「確かこのビルにM新聞社の支局があったなあ」などと思いながらお店の中へ。
店内は薄暗いんですが、雰囲気は悪くありません。
まずはビール。
おっかなびっくりながら、エジプトといえばこの銘柄、ステラビールを注文します。
飲んで見てびっくり!
ちゃんとビールの味がします。
住んでいた30年近く前、ステラビールはとても飲めたものではありませんでした。
「瓶ごとに味が違う」と言っていて、気が抜けていたり、酸っぱかったり、泥水のような味だったり(泥水を飲んだことはありませんが)で、「ときどき、なんとか飲めるものに当たる」という感じ。
「ステラ・エクスポート」という「輸出用」と称する少し高いものもあったんですが、これも酸っぱいものは少ないものの、決してうまくありませんでした。
エジプトから国外出張したときは、重たいのに缶ビールを買って帰ったこともあったくらいです。
この20年あまりで、ステラビールに何があったんでしょう?
などと驚いているうちに料理が運ばれてきました。
こちらはターメイヤというコロッケのようなもの。
そら豆をつぶして丸めたものを揚げています。
(エジプトの庶民は、ふだんお肉などはあまり口にできず、豆やチーズがタンパク源です。)
素朴ですがまあまあのお味。
そして、日本でもおなじみになってきたモロヘイヤという粘り気のある葉物野菜のスープと、ケバブ(お肉)など。
真ん中に見えるチキンとライスはモロヘイヤスープのサイドディッシュです。
どれもおいしゅうございます。
ビールとミネラルウォーター、それにこれだけの料理を注文して、200エジプトポンド=約1,300円でした。
カイロ中心部を流れるナイル川の中州、ゲジラ島のザマレク地区を散策したあと、午後はホテルの部屋でゆっくり過ごします。
夕食は、ホテル近くのエジプト料理店へ。
7月26日通りを渡ってすぐ近くにあるアブ・エル・シドという観光客に人気らしいお店です。
住んでいた頃にはありませんでした。
「確かこのビルにM新聞社の支局があったなあ」などと思いながらお店の中へ。
店内は薄暗いんですが、雰囲気は悪くありません。
まずはビール。
おっかなびっくりながら、エジプトといえばこの銘柄、ステラビールを注文します。
飲んで見てびっくり!
ちゃんとビールの味がします。
住んでいた30年近く前、ステラビールはとても飲めたものではありませんでした。
「瓶ごとに味が違う」と言っていて、気が抜けていたり、酸っぱかったり、泥水のような味だったり(泥水を飲んだことはありませんが)で、「ときどき、なんとか飲めるものに当たる」という感じ。
「ステラ・エクスポート」という「輸出用」と称する少し高いものもあったんですが、これも酸っぱいものは少ないものの、決してうまくありませんでした。
エジプトから国外出張したときは、重たいのに缶ビールを買って帰ったこともあったくらいです。
この20年あまりで、ステラビールに何があったんでしょう?
などと驚いているうちに料理が運ばれてきました。
こちらはターメイヤというコロッケのようなもの。
そら豆をつぶして丸めたものを揚げています。
(エジプトの庶民は、ふだんお肉などはあまり口にできず、豆やチーズがタンパク源です。)
素朴ですがまあまあのお味。
そして、日本でもおなじみになってきたモロヘイヤという粘り気のある葉物野菜のスープと、ケバブ(お肉)など。
真ん中に見えるチキンとライスはモロヘイヤスープのサイドディッシュです。
どれもおいしゅうございます。
ビールとミネラルウォーター、それにこれだけの料理を注文して、200エジプトポンド=約1,300円でした。
【旅行33日目・その1】ナイル川中州にあるマリオット・ホテルからかつての住居へ [エジプト]
「【旅行32日目・その2】ヒースロー経由で27年ぶりのエジプト・カイロへ」から続きます。
スペイン・バルセロナからロンドン・ヒースロー空港で乗り換えて、エジプトのカイロ空港に到着したのは、ヒースロー出発が遅れたため8月11日(旅行33日目)の未明。
空港からタクシーでホテルに直行し、すぐに就寝しました。
泊まっているのは、ナイル川の中州であるゲジラ島にあるカイロ・マリオット・ホテルです。
19世紀後半に建設された宮殿の敷地に建っていて、1,000以上の客室がある巨大ホテルです。
昔の宮殿部分を挟むように20階建ての客室棟2つがあり、中央部分はフロントやレストラン、カジノがあるほか、下の写真のようなプールもあります。
今から30年前(この旅行からだと29年前)のカイロ赴任時も、最初はこのホテルに泊まりました。
今回泊まったのは、プールの左に見えている低層の宿泊棟の部屋です。
お昼前にゲジラ島北部のザマレク地区の散策に出かけます。
下の写真はマリオットホテルを、北側を走る7月26日通りからみたところ。
15分くらい歩いてザマレク地区の北西部へ。
写真の白い建物はフラメンコ・ホテルという4つ星の宿。
ゴールデン・チューリップというオランダのホテルチェーンの1軒で、今回も宿泊を検討しましたが見送りました。
実は、1989年から90年にかけて、フラメンコ・ホテルの斜め前のフラット(アパート)に住んでました。
こちらの写真がそのフラットです。(住んでいたのは確か5階)
このあたりは、19世紀以降、エジプトを事実上支配していたイギリスの駐在員など、外国人の居住地区でした。
このフラットが何年くらい前の建物かはよく分かりませんが、エレベーターのドアが鎧戸になっていて、かなり旧式だったので、相当古いんだと思います。
下の写真は、フラメンコホテルのベーカリー。
住んでいた頃は、よくパンを買ってました。
エジプトのパンは、中東によくある膨らんでいない平たいものですが、このベーカリーは西洋式のパンがまあまあのレベルのものを売っていました。
カイロらしく猛暑なので、このベーカリーで一息つきます。
デニッシュはなかなかおいしゅうございました。
さらにザマレクを歩いていると、こんなポップコーン店を発見。
KuKuRuZa(ククルザ)というアメリカのチェーンですね。
あまりお客さんはいないようですが…。
住んでいた頃も、ヨーロッパやアメリカのお店が散発的に出店しては、ほどなくして撤退するという話をよく聞きました。
エジプトの庶民の購買力が低いのと、物流や行政手続きの問題で、商売がうまくいかないということだったと思います。
最近はどうなんでしょう…。
スペイン・バルセロナからロンドン・ヒースロー空港で乗り換えて、エジプトのカイロ空港に到着したのは、ヒースロー出発が遅れたため8月11日(旅行33日目)の未明。
空港からタクシーでホテルに直行し、すぐに就寝しました。
泊まっているのは、ナイル川の中州であるゲジラ島にあるカイロ・マリオット・ホテルです。
19世紀後半に建設された宮殿の敷地に建っていて、1,000以上の客室がある巨大ホテルです。
昔の宮殿部分を挟むように20階建ての客室棟2つがあり、中央部分はフロントやレストラン、カジノがあるほか、下の写真のようなプールもあります。
今から30年前(この旅行からだと29年前)のカイロ赴任時も、最初はこのホテルに泊まりました。
今回泊まったのは、プールの左に見えている低層の宿泊棟の部屋です。
お昼前にゲジラ島北部のザマレク地区の散策に出かけます。
下の写真はマリオットホテルを、北側を走る7月26日通りからみたところ。
15分くらい歩いてザマレク地区の北西部へ。
写真の白い建物はフラメンコ・ホテルという4つ星の宿。
ゴールデン・チューリップというオランダのホテルチェーンの1軒で、今回も宿泊を検討しましたが見送りました。
実は、1989年から90年にかけて、フラメンコ・ホテルの斜め前のフラット(アパート)に住んでました。
こちらの写真がそのフラットです。(住んでいたのは確か5階)
このあたりは、19世紀以降、エジプトを事実上支配していたイギリスの駐在員など、外国人の居住地区でした。
このフラットが何年くらい前の建物かはよく分かりませんが、エレベーターのドアが鎧戸になっていて、かなり旧式だったので、相当古いんだと思います。
下の写真は、フラメンコホテルのベーカリー。
住んでいた頃は、よくパンを買ってました。
エジプトのパンは、中東によくある膨らんでいない平たいものですが、このベーカリーは西洋式のパンがまあまあのレベルのものを売っていました。
カイロらしく猛暑なので、このベーカリーで一息つきます。
デニッシュはなかなかおいしゅうございました。
さらにザマレクを歩いていると、こんなポップコーン店を発見。
KuKuRuZa(ククルザ)というアメリカのチェーンですね。
あまりお客さんはいないようですが…。
住んでいた頃も、ヨーロッパやアメリカのお店が散発的に出店しては、ほどなくして撤退するという話をよく聞きました。
エジプトの庶民の購買力が低いのと、物流や行政手続きの問題で、商売がうまくいかないということだったと思います。
最近はどうなんでしょう…。